桜を見て思う
久しぶりのブログ投稿です。
長らくお休みをいただき、何度も訪れてくださった皆さんごめんなさい。
3月下旬から4月の息子の入学にかけて、本当に慌ただしい毎日でしたが、なんとか小学校のリズムにも慣れて、落ち着いてきました。
いろいろと書きたいことがあった矢先に、先日の熊本での大きな地震がありました。
真庭ではほとんど揺れを感じませんでしたが、阿蘇や大分にかけても活発な地震活動が依然と続いておりとても心配しています。
九州には親戚も友人もいて、余震で眠れない日々を過ごしていると聞き、私も2011年の東日本大震災を思い出しました。
余震で揺れる度に、息子が泣き、福島の原発事故もあり精神的にとてもきつかったです。
どんなに防災グッズを備えても、こんな過密に人口が集中している都市部でひとたび直下型の地震があったら、小さな子どもを守れるのだろうかと不安は拭えなかったです。
マイナスのことばかりにエネルギーを費やしているのはもう嫌だと、悩んだ末に決断して岡山県の県北の真庭市に引っ越してきてから2年経ちます。
ここに来てから地震らしい地震を経験したことが一度もなく、真庭は活断層がないので、こちらの人達はそれが当たり前なのですが、私にとっては揺れないということが、こんなにも安心できることなんだと日々有り難く感じています。
どうか熊本をはじめとした九州の被害がこれ以上大きくなりませんように。
そして、
投稿しようと思っていて、なかなかできなかった真庭の桜の風景。
山と旭川と桜の風景が、本当に美しかったです。
「ねぇ、昨日より今日の方がピンク色が濃くなっているよ」
毎日家の前の桜を眺めていた息子が教えてくれました。
調べてみたらソメイヨシノは散り際になると中心部が緑から赤色になっていくとか。
言われてみるまで分からなかったけれど、子どもの観察眼ってすごいなぁ。
勝山の城山には山桜。
山にポショポショと桜色のパッチワークみたい。
友人が「山嗤う(やまわらう)」という春の季語を教えてくれました。
新芽が出て、花が咲き、小鳥がさえずり、本当に山が笑っているみたい。
そして初めて見に行った、落合の醍醐桜。
自動車道は桜を見る人で大渋滞で、歩いて登ったのですがこれまた険しい山道で大変でした。
山のてっぺんにそびえる醍醐桜はどっしりと大きくて神様がいるよう。
樹齢は千年。
伝説によれば、元弘2年(1,332年)後醍醐天皇が隠岐配流の際、この桜を見て賞賛したといわれ、この名がついたとか。
桜はもう老木であちこち枝を補強されており、踏まれて根元が痛まないように遊歩道が整備されています。
この桜をずっと守ってきた地域の人達あってこその樹齢千年です。
悠久の時の流れを経てきた桜の巨木からエネルギーをもらって、私もこの地でできることを1歩ずつ。
きっとそれは「ハチドリのひとしずく」かもしれないけれど、私なりにできることを少しずつでもやっていきたいと思うのです。