菜種油づくりで思うこと
週末に息子を連れて、樫邑(かしむら)地域の菜種畑のお手伝いに行ってきました。
久世の町から車で10分ほどで美しい川と田園風景が広がり、
樫邑小学校から峠を登った丘陵に菜種畑はあります。
(4月の菜種畑の風景)
地域の方々と一緒に種まきした菜種のナナシキブが花を咲かせ、
5月下旬から手作業で刈り取り収穫。
無農薬なので他の草もたくさん生い茂り、より分けながら菜種をこぼれさせないように丁寧に刈っていく・・・私がお手伝いしたのはたった1日ですが、それでも音をあげてしまいそうなくらい、とてもとても大変な作業でした。
草も多いし、虫喰いもあったり・・・普段「無農薬」とか「自然栽培」とか軽々しく口にしていたことを反省するくらい、畑をされている方にとって薬を使わずに畑をしていくというのは本当に大変なことなんだと痛感。
そして、今回、7月12日に脱穀機と唐箕(とうみ)を使っての選別をするよと声をかけていただきました。
唐箕って何だろうとワクワク。
台風が近づいている影響で、雲が多く蒸し暑い日でしたが、息子はお友達と張り切ってお手伝い。
足踏みの脱穀機の扱いにもすぐに慣れて面白がって、菜種をバリバリとサヤと茎に分けます。
分けたサヤをふるいにかけて、集まった菜種とサヤの細かいかけらを、選別するのに昔ながらの唐箕(とうみ)が大活躍。
ハンドルを回し風を起こし、上から落とした菜種を、軽いサヤは吹き飛ばして重たい菜種は下から出てくる仕組みです。
手回しハンドルの風の力と上から落とす量の調整で、
そんなにうまくより分けられるの?
と半信半疑でしたが、見事にサヤや虫喰いの菜種と、黒いきれいな菜種粒が分けられて、電気もガソリンも使っていないのに選別作業がどんどん進みます。
昔の人の知恵ってすごい!
蒸し暑くて汗もいっぱいかいたけど、体を動かして皆で作業するって気持ちがいい。
息子も手作業ですべての工程が見えるから、いろいろ感じとっていたみたいで、「次はこれをどうするの?」と何でもお手伝いに興味津々。
お友達と唐箕で分けたサヤで遊んだり、畑にトンボを探しに行ったり、ずっと楽しそうでした。
帰りの車の中で息子がふと
「ねぇ、ねぇ、まだ油ってできないの?」
と聞いてくる。
そうだよね、10月に一緒に種まきしてから、かれこれ9ヶ月・・・やっとここまで来て、まだ搾油には至らない。
でもね、まっとうなものを作るっていうのはこれだけの手間と時間がかかると言うこと。
昔はどこでも菜の花畑が見られて、1960年代には全国に1500軒あった搾油所が、今では100軒以下。
海外産の安価な油に押されて、国産原料の食用油は全体の4%、菜種油に至っては0.04%しかないそうです。
一般のサラダ油やキャノーラ油がなぜ安いのか?
遺伝子組み換えで除草剤などの農薬に耐性を持たせ、大量に除草剤や殺虫剤をまく。
雑草がないので、大型機械での刈り取りもきわめて効率的。
搾油も昔ながらの圧搾法ではなく溶剤を用いて抽出するなど、安いものにはそれなりの理由があり、こうした油が健康に良くないと言うのも、栽培や製法を考えると当たり前のことなのです。
でも、こうした海外産の安価な油ではなく、自分たちでかつてこの地でも栽培していた菜種油を復活させたいと、普段仕事をされながら週末にこうして汗水流している地元の方々は、本当にすごいなぁと思う。
そして、こうして畑に種をまくところから関わらせてもらえると、油というものは本来とても贅沢なものなのだと改めて思う。
昔の人達だって、天ぷらって贅沢品でハレの日にしか食べられないものだったのに、今やフライも天ぷらも日常のもので、ショートニングの含まれる菓子類など日本人の摂る油脂量はどんどん増えているそうです。
以前は体にいい油だったらどんどん摂ってもいいじゃないと思っていたけど、この生産の苦労を思うと、これからは炒め物に使う量でも少しずつ大切に使いたい。
みんながいい油を大切に使っていたら、生活習慣病もぐんと減るんだろうなぁ。
来月天日干しをして、9月には搾油とのことで、真庭の地油ができるのが今から楽しみです。
私の作る石けんも、こうしてまっとうに作っている生産者さんの油を少しでも応援していけたらいいなぁと思うのです。